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映画「odoriko」(東京日仏学院(アンスティチュ・フランセ 東京) 1/30) [ストリップの過去や読んだもの]

ストリップの楽屋を撮ったドキュメンタリーがあるとのことで、
気になってはいたんだけど、なかなか普通の映画館で上映されず、
フランスで編集版がつくられた関係でか、
フランス関係の機関でイベント的に上映されることがあり、
なんとか、編集版ではないほう(ディレクターズカット版のほう)を見ることができました。

とにかくひたすら楽屋で撮影した、という映像です。
何の説明もなく、淡々とそれが続きます。
でもなんとなく、この人は引退するんだな、といったことはわかる。

楽屋で子育ての話をしたり、親の介護の話をしたり、
超ベテランが、中堅の踊り子さんの衣装の手伝いを舞台袖でしていたり、
一方で、入りたての踊り子さんが意気込みを語ったり、
踊り子さんの素の状態が次から次へと映し出されて、
もちろんストリップ劇場の楽屋だから、裸のままも多いし、
その膨大な「素の状態」になんか圧倒されました。

そもそも裸体でいる楽屋でよく撮影させてもらえたな、と。
トークショーでのお話によると、
監督ほか合計3人(たしか)で、すっごく狭い楽屋に入って、
とにかく、邪魔にならないように邪魔にならないようにしていた、
特に、答えを求めて質問しないようにしていた、とのこと。
ああ! 

ドキュメンタリーって、森達也がよく言うように、
そのままを撮っているようでいて、
じつは、撮る側が、自分の意図通りの文脈になるように撮ってしまうもの。
それをできるだけ排除しようとしたわけです。

トークショーには奥谷洋一郎監督のほか、
作品中にも登場した浅葱アゲハさんと、牧瀬茜さんが登場。

IMG20230130205335.jpg

フランス編集版のほうのタイトルは「NUDE AT HEART」というのですが、
それは牧瀬さんの、「自分は心から裸になれているだろうか」という自問からきているそうです。
人にどう思われるかをすごく気にしてしまっていて、
裸になってもなっても、本当の意味では裸になれていない。
自我を解放できているだろうか。
…高度なパフォーマンスである現代のストリップで、
もはや裸になる必要はないのではないかと思うぐらいのときもあるけど、
やっぱり裸が必須なのは、そこに自我の解放を見ているからなんだと思う。自分は。

客席からの質問や感想では、ストリップをそもそも見たことがない、
という人がけっこういて驚きましたが、
ドキュメンタリー映画そのもののファンっていう層があるってことですねえ。
アゲハさんのエアリエルにびっくりした、という声もあって、
ストリップファンはみんな誇らしく思ったのでは。

なお、普通の映画館で上映しないのは、裸体が多いからかと思っていましたが、
じつは、(撮影時に許可を取っているとはいえ)
普通の映画館で公開していいか、
最終的な確認が取れていない踊り子さんがいるから、だそうです。


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雑誌『ヌード・インテリジェンス』 [ストリップの過去や読んだもの]

本を読んでいるとしょっちゅう目にする、雑誌「ヌードインテリジェンス」。
社長は一条さゆりのマネージメントもしていたとか。
だから1970年代ですかね。

当時、ストリップ専門のグラビア誌ははじめてだった? 
とても画期的だったらしい。

古本でそれほど高くなく売っていたので、1冊買ってみた。
「インテリジェンス」というからには、知性を持って、
ストリップを分析しているに違いない。


IMG20230312155038.jpg

届いてびっくり。
知性はまったくなかったです(笑)。

踊り子さんたちのヌード写真が載ってるだけでした。
それが当時は画期的だったのかー。

たまに踊り子さんインタビューがあるんだけど、
これがまあ、前時代のもので。
「はじめての生理はいつ?」とか、
「どういうとき感じる?」とか、
正直、うんざりする。

田房エイコの名著『男しか行けない場所に女が行ってきました』を彷彿とさせる。
男性が望む答えを引き出すため、風俗ライターは紋切り型のことしか聞かない、という話。
1970年代と2008年で変わってない!!

黒井ひとみさんへのこのインタビューと、
まったく違う次元を生きているように感じる。
https://www.cinra.net/article/hn-kuroihitomi_strip

あと、踊り子さんたちに美人が少ない。
今の踊り子さんって、ほとんど全員、美人だったり、かわいかったり、
女優さんかモデルさんか、って感じじゃないですか。
この時代、そういう人がほとんどいなくて、けっこう驚いた。
当時は、脱ぎたくて脱ぐ人は少なかった?

なお、劇場の宣伝がいっぱい載ってるので、そういう意味でも資料的価値がありそうです。

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上映会「ストリップ小屋に愛をこめて」 [ストリップの過去や読んだもの]

『すとりっぷ小屋に愛をこめて』の川上譲治さんが、
シネマ大塚で3日間の上映会をするというので、
12/18(土)の午後だけ行ってきました。
(年をまたいで記事アップしてますが2022年の話です)
 
 『すとりっぷ小屋に愛をこめて』の感想はこちら

回によって上映作品が違うので、ほかの回も見たかった!


「さらばストリップされどストリップ屋」1990年

鶴見新世界劇場の社長さんがチラシ配りをするところから始まり、
いろいろな踊り子さんを順番に紹介する形で進む。
8mmなのに70分の大作。

1990年、入管法の改正で「ガイジン」を使えなくなり、
生板本番がなくなったらやっていけないのではないか、
という危惧が最初に語られる。
昔と違って、裸になればいいって子ばかり、とも。

つまりは、生板本番が主流だ、ということです。
そんな中、川上譲治さんがいろいろと模索していた痕跡が残った作品群なわけです。

ごくごく普通の踊りのほか、
自分で自分を縛るスタイル(00年代の映像でも観たことがある)、
この方、なんと電気椅子で自殺というていのものもやってた、早乙女宏美さん、
男性と一緒に踊るスタイル(ジョージ高橋さん、かっこいい)、
金粉ショー(映像はなかったけど)
生撮りと言って、客が自分のビデオカメラを持ってきて、動画を撮影する、
聖水ショー(自分で出して自分で飲む)、

本当にいろんな出し物があって、すごく盛り上がってたことがわかる。
川上譲治さんは特にそういうことを頑張っていた人だから、
全部の劇場がここまでではなかったと思うけど。

ただ、結局のところ、
この時代のストリップは男性の娯楽なんだな、ということをあらためて痛感した。
インタビューで必ず、「何歳までやるつもりか」と聞くのだ。
女性に価値があるのは若いときだけ、という前提。
(「本当の夢な何なのか」とも聞いていたので、ストリップが二流であるという前提も)

客席は男性ばかりで、もんのすごく楽しそう。
ああ、これは、オッサンたちがワイワイしてる、あれではないか。
女性がコンパニオンとしてはべる宴会。
社会は100%男性のもので、女性は、妻か水商売。それ以外の女性が存在しない世界。

当時、私は大学生でした。AVも見ていました。
そういうノリを知ってます。違和感がありつつも、そういうものだと思ってました。

でも、もうダメだ。今となっては、無理だ。
もちろん、歴史として大事だし、このときはこういう価値観だったのだから、
やってた人を批難するわけではない。全くない。
こういう中で自分の肉体を使って表現していた女性たちを尊敬する。
ただ、この枠組みは今後はもうあり得ないな、と。

そういう意識で見てしまうので、ちょっと体がこわばってしまうこともあった。
特に、レイプ的なことを生撮りしているショーは本当にダメだった。

今のストリップの、「触らない」というのはすごーく安心できる。
(「タッチショー」をする方はもういないのだろうか、見てみたかったなあ。
現代でも、「自分から触らせる」は自分的にはアリな気がする。自己決定権があるから。)


「恐山の女」「爆笑ストリップ企画」
短い作品、というか記録映像?で、
ますます多種多様な出し物があったことがわかる作品群。

「恐山の女」は、もろに寺山修司的な世界観。
女性が「お父さん」の墓参りに来て、舞台上にお墓があって、そこに男性(客らしい)が入っている。
音質が悪くてストーリーがよくわからないが、
従軍慰安婦、天皇制も取り上げている様子。
(当時、現場で彼女たちを「従軍慰安婦め!」などと言っただろうか?
もっと違う単語で呼んでいたのでは?)

混浴ショーは、舞台上にお風呂があって、客で志望者を募り、
踊り子さんと一緒に入って背中を流しっこするという…
なんじゃそら(笑)。

内視鏡であそこの中を見るというものもあるし、
当時流行っていた写真集『サンタフェ』の壁紙を作って、
その前に立つ「宮沢「えり」ちゃん」を、篠山紀信になりきって撮影する、とか。

下ネタ満載の高度な宴会芸っていうのかなあ。
踊り子さん的には、踊りが下手でも、
裸OKで客あしらいが上手ければ成立するということではある。

そしてそして、司会者がいるのね!
そうか、ビートたけしが浅草フランス座出身とかよく言うけど、
男性の芸人さんがこうやって一緒に盛り上げるものなんだよね。
上映後のトークの中では、6~7人の踊り子さんが出る中で、
真ん中あたりにコントをはさむのが通例だったとの説明が。

このワイワイのノリとか、客参加のことを考えると、
ファイヤーヨーコさんや栗鳥巣さんがやってる、あそこを駆使した「花電車芸」は、
この時代を継承しているっていうことなんだ!!

知識ではわかっていたけど、映像を見てはじめて体感できた。
本当に、映像は貴重。
(被写体の権利に配慮して、今回の上映後に廃棄する予定だそうだけれど、
許可が取れた被写体の部分だけでも残せないものか。)

ニューバーレスクのイベントも、司会者がいて、
観客みんなでワイワイして、掛け声かけて、一体感があって、
コミカルで開放的で、チップを挟むという多少の接触もあり、
むしろ今のストリップよりも、ニューバーレスクのほうが昔のストリップに近い気がする。
だけど、ニューバーレスクは、ボーイレスクという男性の脱ぎもあるし、
観客も女性が多いから、全然、昔のストリップとは枠組みが違うんだよね。

今回上映された映像が今後のストリップの参考になるとしたら、
男性が女性を添え物にしてワイワイする昔の枠組みではなく、
男女ともにリスペクトしあってワイワイできる、
アップデートされた価値観の枠組みで適用されてほしい。

女性が肉体を使ってパフォーマンスするとはどういうことなのか、
オッサン文化嫌いの私がなぜ今のストリップにははまっているのか、
つくづく考えさせられるのでありました。

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『一条さゆりの真実―虚実のはざまを生きた女』 [ストリップの過去や読んだもの]

『一条さゆりの真実―虚実のはざまを生きた女』加藤詩子 2001年

「落ちぶれた」伝説のストリッパー一条さゆりを最後に看取った人が書いた本。
これはすごい…

一条さゆりという人自体が、複雑で、正直めちゃくちゃ面倒くさくて、
とにかく受け身で、相手に気に入られようとして自然に嘘をついてしまう人である、
ということに驚いた。
なんと、裁判で話していることすらも嘘ばかりなのだ!

観客を「自分はこの踊り子さんに愛されている」と思わせるぐらい、
すごい芸であったときく。
そのためには、こんな生い立ちとこんなメンタルでないといけないんだろうか。
陳腐な表現だが、業が深い。

そして、聞き手の努力と能力にも驚く。
こんな面倒くさい人にしっかりつきあって、時に放り出したくもなりつつ、
最後まで看取り、生い立ちを調べていくのだ。
大嘘をつかれていたと明らかになっても!

次から次へと嘘がわかって驚愕しつつも、
でもそれを必死に組み立てなおしていく。
そこで立ち上がってくる、「一条さゆりの真実」。

作者はこのあと、トラウマ治療の専門家になったというのだから、
もともと才能があったのだろう。
一条さゆりに出会って天職を見つけた、と言えなくもない。

最初っからすごい話の連続なんだけど、
最後まで、どんでん返しだらけ。

分厚い本だけど全く飽きさせない。
2021年5月に広島第一劇場に行く新幹線の行き帰りで読破しました。

ちなみに、この本の中で唯一自分に番近いと思うのは、
一条さゆりは女性の性を解放してくれている、と思いこんで、
裁判支援に登場するフェミ系の女性です。
こういう、ある種「勘違い」する人は、昔からいたんだなあ。


歴史の証言としては…

本番生板ショー全盛の前で、オープンすること自体が特別視されていた時、
オープンして、ろうそく垂らしたり、牛乳か何かを仕込んでおくことで人気に。
客が夢中になり、警察は摘発し、裁判になったけど、
裁判の途中でどんどん本番生板ショーが普及してしまい、
何が罪なのかよくわからなくなっていったという…。

でも、そうした芸をする前はバックダンサーとして踊っていた時代もあって、
(ソロ以外の出し物があったんですね)
むしろその時代のほうが彼女本人としては楽しかったのではないか。。

あと、裁判まではすごく持ち上げておきながら、落ちぶれたあとは全然、
っていう人たちがね…たくさんいたのも、けっこうつらかった。



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ストリップの青春とは?『僕のストリップフラフィティ』 [ストリップの過去や読んだもの]

『僕のストリップフラフィティ』石川誠 1995年

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ストリップ関係の本はたくさん読んでいて、
感想を載せたいのがたまっているんだけど、
これは最初に載せずにはいられないぐらい、ちょっと衝撃だった。

正直、ドン引きーーー
な本です。

でも、なんでドン引きなのかを考えると、けっこう難しい。

1959年生まれの男性が、
高校2年生のとき(つまり1975年ぐらい)に本番生板初体験。
その後しばらくブランクがありつつも、
1990年頃まで本番生板を楽しく享受。

…するだけでなく、舞台上で外国人の踊り子さんをナンパして、
その後、肉体関係を主とした短期間の恋愛を次々と楽しむ、という経験談。

そんなことが可能だったんかーー。

ある時期から、劇場の目が厳しくなったり、
踊り子さんがお金を要求してくるようになったそうだ。
それは容易に想像できるけど、
逆にそれまでは、劇場が黙認していたというのも、
踊り子さんが自主的にノーギャラで客と楽しく会っていたというのも、
予想外。

はじめてのとき(1975年ぐらい)は、本番生板自体はあったけど、
参加する人が少なく、みんな尻込みしていたとのこと。
しかし、2年後にはじゃんけんして争奪戦になっていたとのこと。
一日何回も参加する人もいたり。
こうした証言は貴重ではある。

全体的にすごく軽くて読みやすく、楽しい青春の思い出、という読後感。
表紙にも、バブル期のわたせせいぞうのような絵が描いてある。

それが逆に、引く。

とにかく外国人女性とやりたい。できれば金髪。
アメリカ人がいいけど、無理っぽい。
ていうかどこの国の人かよくわかってないけど、いいや。
より多くの女性とやりたい。

その発想自体が、自分の価値観とは相いれないー。

でもそういうお客さんがたくさんいたから、繁盛していたんだよね…。

騙されて日本に来た女性たちが気の毒だとは思わないのかな。
腹をくくって仕事をしているのだから、
お金を落としてあげたほうがいい、っていうのはわかるけど。
数千円でできる風俗なんてほかにない、って言うけど、
それだけ踊り子さんに行くギャラが少ないってことだよ???

踊り子さんがこの人とつきあっていたのは、
雇い主からやらされる仕事ではなく、
自分で選んですることだから、楽しかったんだろうな、とは思う。
この人はスペイン語を勉強したりして、仲良くなろうとはしているから、
舞台上よりも心のある人間関係が築けたんだろう。

にしても、今我々が観ているものとは、全然、違うのだなあ。。。

今、踊りながら丸出しにして「見せている」ことと、
「本番をやらせる」ことと、
どう違うかって言われると、なんだろうな。
リスペクトがあるかどうか、だろうか。
いや、でも、そんなんわからないよな。
リスペクトをもって本番やってた人は少ないかもしれないけど、
今だってリスペクト無しで見ている人はいるだろう。

でも、「その仕事と別の仕事(好きなのを選べる)と、どっちがいいですか」って聞いたら、
本番生板の踊り子さんは別の仕事を選んで、
今の踊り子さんは踊り子を選ぶんじゃないかな。

今の踊り子さんは、インタビューなどを読んでも、
好きでやっている、という方が多い。(それ自体、私の幻想なのかもしれないが)

自分も、ダンスがうまくて若ければ、そして体力があれば、
今の踊り子になら、なりたい気もするけど(ほんとか、おい(笑))、
本番生板は、無理だな。
なんでだろうな。

誰かに自分の体内を預けるっていうのは、
相当な危険を覚悟することだからかなあ???
ましてや大勢に見られながらっていうのはもっと怖い。

全然関係ないかもしれないけど、
飼っている猫の、雄猫のそれは外についてて、
時々舐めた拍子ににょきっとなるのを微笑ましく見てるけど、
雌猫のそれは普段は見えなくて、
皮膚炎の薬を塗ろうとして毛をかき分けているときとかに、
偶然そこを開いてしまうと、「わああっ、こんなところに!」て思う。
やっぱり体の「外」と「中」の違いは感覚的に大きい気がする。

生板をしていた踊り子さんを貶めたいわけじゃない。
多分、トーク技術とかも必要で、ただやらせるわけじゃない、
いろんな芸が必要だったんだと思う。
でも、本心から志願してやる人はほとんどいなかったんじゃないか。
だから、それを「楽しいなっ」「青春!」と能天気に享受することには、
かーなーり抵抗を感じる。

戦前とか戦後すぐぐらいの風俗関係のガイド本とか読んでると、
ドン引きしつつも「昔のことだしな」と思えるんだけど、
1975年はすでに自分が生まれているだけに、けっこう衝撃でした。


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アングラに憧れて『すとりっぷ小屋に愛をこめて』『ストリッパー』 [ストリップの過去や読んだもの]

『すとりっぷ小屋に愛をこめて』川上譲治 2015年
(元は『さらばストリップ屋』1988年)

新宿にあったモダンアートという実験的な劇場。
そこを中心に、雇われて働いていた人が書いた本。
今は(というかもともと)写真家だそうです。

1976年にたまたまストリップ劇場で働きはじめて、
ストリップを「ショー」にしようとしていて、
アングラ演劇の要素を入れてすごく頑張っている。
特に、『ぴあ』とか、大学生が読む情報誌に掲載されて人気になることを狙ってるんだけど、
なかなかうまくいかない。

アングラとか暗黒舞踏とストリップって親和性高そうだけど、
ストリップだけ観たいお客さんが多くて、
そちらを重視しないと採算が採れない、ってことなんだろう。

日雇い労働者のための炊き出しを手伝っていたことがある夫いわく、
「お祭りで、支援者側は暗黒舞踏をよんじゃうんだけど、
日雇いのおっちゃんたちは演歌とかのほうが楽しいんだよね」
とのこと。
あるあるですな。

アングラやりたい俳優さんたちがみんなインド旅行のためにストリップやるってのも、
時代を感じさせて面白い。すごく貴重な記録。

ちなみに、ポラロイドショーはこの人がはじめたのだそうだ。
1981年、前田真理子という芸名の踊り子さん。
いかにも女子大生っぽい普通の名前をつけて、
設定も女子大生で、大人気になったらしい。
写真が載ってるけど、小顔ですらっとしてて、アイドルみたい。
しかも、写真を撮らせるだけって、むちゃくちゃ画期的!

この方はほかにもいろーんな形態のショー?を考案するんだけど、
(たとえば、本番を覗き見た映像を流す「ストトルショー」とか)
残ったのはポラロイドショーだけ、なのかな。


『ストリッパー』二代目一条さゆり
(元は『踊り子の日記』1993年)

二代目一条さゆりさん、今も振り付けや衣装製作をしているらしい。
香港映画の専門家でもあるらしい。

二代目を名乗って、一条さゆりが人気を博したローソクショーをやりますよ、
ということでデビュー。
(初代には事後に承諾を得るという、適当なところがこういう業界らしいのかな)

1986〜1993年の日記。
消費される側の踊り子さんが自分でものを書くというのは、
1980年代以降のことだろうか。
AV女優が文章書いたりというのもあった。興味深い。
それ自体、誰か研究していそう。

経営者側でも裏方でもなく、出演者側の裏話はとーっても面白い。

楽屋でいじめられる!
摘発されて牢屋がめちゃくちゃ寒い!
彼氏できたけどすぐ別れちゃった!

風営法改正の直後ぐらいの話で、
浅草ロック座が今のような形になってすぐ、ロック座所属になったりもしている。
当時は一瞬、あの広い劇場で、ソロをやってたんですね。
それがもたなくなって、構成振付を劇場側が作って、バックダンサーもつくような形式に。
(宝塚大劇場ができたときみたい。
大きすぎて御伽歌劇じゃすかすかで、パリからレビューを輸入)

この方、大学の文学部出身で、アングラに憧れて踊り子になったと。
そういうノリはすごくよくわかる。当時自分は中高生だったけど、
なんかかっこよく思えたんですよね。ああいうの。

でも、昭和天皇が死んだあと、
劇場が喪に服さなかったことをと非難しているのには、驚いた。
アングラ=アンダーグラウンド=地下組織=反体制、ではないですか。本来。
この人にとってのアングラは、イメージとしてのアングラのようだ。


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対照的な大物二人 『浅草ロック座の母』『ストリップの帝王』 [ストリップの過去や読んだもの]

この2ヶ月、劇場に行けていないので
(体調悪い→コロナ怖い→どうせならワクチン打ち終わってから行こう)
本をいろいろ読んでました。

まずは、裏の大物の伝記を2冊。


『浅草ロック座の母』斎藤 智恵子 2017

本人著となってますが、聞き書きと思われます。

戦後すぐ、21歳のときに、
旅回りの大衆演劇の男に惚れこんで結婚して、
その一座の一員になって、芸を覚えた、という出だしが、
かつてはそういう芸能がたくさんあったんだよなあ、としみじみ。

で、夫の女癖が悪くて離婚して、
ストリップの踊り子さんに日舞とかを教えていたら、
出てください、と言われて出たのが35歳。昭和36年頃。

当時としても年増だったそうですが、
子ども(夫が育てていた)に仕送りするお金のために脱いだそうです。
脱ぎたくて脱ぐ人はいない、と。
今はちょっと違うかもしれない。

もともと裁縫学校に通っていたのでお裁縫もできるし、
母親譲りの商才があったので、
劇場を買い、踊り子さんをたくさん抱え。

旅回りの太夫元もやったそうです。
(昔はコメディアンとバンドマンと踊り子数人とで全国を回っていた、そのリーダーが「太夫元」)。

そのころは1時間半がストリップで1時間が軽演劇だったんですって。

ちなみに、昭和20年代後半から30年代前半の全盛期を経て、
ストリップ劇場は売りに出されることが多かったそうで、
安くたくさん買えたそうです。
ほかは売っても、伝統あるロック座だけは売らなかったとのこと。

すごいなと思うのは、
本番ショーを「こんなのは女の子が不感症になってしまう!」と
一切やらなかったこと。

そして、後継ぎの息子(別れた夫との間の子どもと上手くいってたんですね)が、
昭和60年に劇場をリニューアルしたとき、
ショーとして見せられるようにミラーボールをつけたり、
小屋以上のものにしたこと。

これが結果的に、今生き残っている一つの要因なのではなかろうか。

あ、あと、今ロック座で振り付けをしている、元踊り子の雅麗華さんは、
養女だそうです。昔の従業員夫婦の子供らしい。


『ストリップの帝王』八木澤高明 2017

瀧口義弘という人物の評伝。
著者は、風俗関係のルポを読んだことがある。

滝口は、もとは銀行員だったのに、
姉が人気ストリッパー桐かおるで、
姉が経営している劇場に突然呼ばれて、裏方に。

この人も商才というか、なんなんですかね、
はったりがきくんでしょうか、虚無的な怖さがあります。
劇場もたくさん持ってたんだけど(その最後が諏訪フランス座)、
メインの仕事は、「コース切り」。

今でも、どの踊り子さんがどの劇場に出るか、を
「コース」って言いますね。
「来月のコース決まりました」とか。

何百人という踊り子さんを任されて、コースを切っていたそうです。
それだけでマージンがたくさん入ってくるわけ。
月収2億円のときも!

そして、この方の大きな影響は、本番ショー。

コロンビアとか、外国から女性がダンサーをやるつもりでやってきて、
でもじつは最初から本番がメインだった、
というのは当時社会現象になっていて、子どもの私でも知ってました。

その大きな元締めだったのです。

「そうしないと彼女たちが困るから」
「法律のいい悪いじゃない」

それはわかる。

でも、結果としてそれが、ストリップは過激→取り締まる→風営法改正で
新しい小屋が二度と作れなくなる、になった。

そもそも、女性がそういうふうに搾取されることは、いいことではないよね?
本当だったら、ダンサーになるはずだったのに、騙されてるその仕組み、
良くないよね?

自分がいる業界が今後どうあるべきか、
どうしたら生き残れるか、
どうしたら多くの関係者が本当の意味で幸せになれるか、
考えようよ……

まあ、そんな発想は無いんだろうな。
目の前の「仁義」が最優先なんだろう。

あ、浅草ロック座の母のことを「お金に汚い」って怒ってました。
この人はこんなに儲けたのに、全部ギャンブルに使っちゃう。
浅草ロック座の母はとにかく倹約。
本番ショーだけでなく、対照的。

ちなみに、二人ともに共通しているのは、
ヤクザにすごまれたりしても、一切たじろがないこと。
猫のケンカと同じで、たじろいたほうが負けなんですよね、わかります。

あと、寝ないこと!
二人とも、毎日、多くても2~3時間しか寝てないんですよ。
だからこそ、大量のいろいろをさばけるんですよねえ。
体質とはいえ、すごいことです。


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ストリップの摘発 シアター上野の続報 [ストリップの過去や読んだもの]

シアター上野の摘発について、
実際にその場にいた方の報告があった。ありがたい。
https://note.com/rs200red/n/n31e2693727d9

過去のことについても書いてある。
---
聞けばストリップ劇場の摘発は2013年1月のTSミュージック以来8年ぶりのこと。 気になったので、「@劇ジェロNOW」の「STRIP MEMORIAL 1999~」からストリップ劇場の摘発事案を抜き出してみました。ここにはストリップ業界の出来事が現在から1999年まで順を追って記載されています。
--
2007年以前は入管法、売春防止法、などが適用されるケースがあったようです。さらにそれ以前には職安法や児童福祉法が適用されていたことを見ると、最近はかなりクリーン?な業界にはなってきているように思えます。
--
そんなツールがあるとは全く知らず。
自分、典型的な「にわか」だなあ~(苦笑)。
(クリーンになってきたという大筋は新聞検索の結果と合ってたけども)

(なお、前回の記事で2014年に祇園で摘発があったと書いたのは、
ストリップ劇場ではなく、ラウンジでストリップをした事件でした。)

シアター上野の件に戻ると、

宣伝を歓楽街以外のところでもしていたというツイートがあって、
https://twitter.com/keizkey/status/1383388872311115780
報道の「2年前、近所の人から苦情があった」というのはそれについてなのだろうか?

でも、摘発はオープンショーの瞬間だったわけで、
あ、やっぱりそれがダメなんだ…。
きっかけは近所の苦情かもしれないけど。
容疑自体は昔と変わらないんだ。

捜査員が「ストリップは本意ではない女性たちが仕方なく裸を見せているもの」
と言った、という報告もあった。
https://www.news-postseven.com/archives/20210429_1655607.html/2
考え方も昔と変わらないんだ。

今の実態はそうだろうか??? とても違和感がある。
わたし的には、不機嫌なオッサンをチヤホヤしなければならないホステスさんのほうが、
嫌々なのではないかと感じる。。。
(主観です、100%主観です)




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ストリップの摘発 過去の事例メモ [ストリップの過去や読んだもの]

ちょうど、
清水ひとみが札幌道頓堀劇場の社長だったけど、
2007年に摘発されたときに行方知れずとなった、と知ったので、
「ストリップが摘発されるのって最近は無いよねえ?
直近でいつなんだろう?」
と思っていたところ。

なんと4月14日にシアター上野が摘発されたと。

今更何で? って思うよねえ??

お金払って見ている人に「公然わいせつ罪」は適用されないのではないか、
という昔からの議論。

ネット上にいっぱいそういうもの転がってるじゃん、という突っ込み。

あの素晴らしい舞台を犯罪扱いする「無理解」への呆れ。

衰退してしまうことへの悲しみ。

でも一番感じるのは、怒りだ。

たいして重要ではないことを摘発し、
もっと重要な悪事を見逃して、
それが仕事だと思っている官僚主義。

そして何より、女性の身体そのものを「罪」扱いすることへの怒り。


…続報によると、
ストリップそのものではなく、無修正AVを見せていたことが原因らしいが??


新しい小屋が作れない、ぐらいのことしかわかってなかったので、
勉強せねば。



とりあえず、過去のことを調べてみた。
「ストリップ」「摘発」で新聞の大手三紙を検索、
あと、ツイッターを検索。
もちろん、新聞に載らない例もあるだろうけれども。

・2000年ぐらいまでは客を「舞台にあがらせてわいせつな行為をした」とか、
「タッチショー」と書いてある。
 ちなみに、1999年にネット中継が摘発されている。ネット黎明期…。

・2006年ぐらいまでは外国人の不法滞在=人身売買の摘発が多い。

 2004年にアメリカ国務省の監視対象になった、という記事がある。
 横浜黄金町の「チョンの間」一掃は2005年だから、大きなきっかけだったのかな。

・その後も断続的に摘発はある。
 でも、「裸体を見せた」「カメラで撮影した」と、舞台上の出し物は今と同じ内容。

・新聞記事の検索結果の最新は、
 2012年2月の横浜の黄金劇場と、
 2012年11月の大阪 東洋

その後はツイッターで検索してみる。

・2013年1月 TSミュージック
  「オリンピックが開催されたときにこんなものがあったら日本の恥」だそうです。
  オリンピック、ほんと、やらなくていい。一切不要という気持ちを強くする。
  (人身売買は絶対ダメ)

・2014年12月 祇園のストリップ劇場(どこだろう)

これが直近だろうか。
だとしたら6年近く無かったということ?
ちょうど、女性客が増えていく時期だ。


あ、今朝の朝日新聞に、都内では7年ぶり、とのこと(TSの後にもあったのかな?)。
そして、オリンピックの前に環境浄化する、と。
はあ!!?



「ストリップと法」というブログを見つけたので読んでみよう。


一条さゆりの裁判も調べなくちゃ。


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桜木紫乃『裸の華』と清水ひとみ [ストリップの過去や読んだもの]

女性がストリップを観るようになってきたきっかけの一つに、
桜木紫乃の影響がありそう、と思って読んでみた。
2015年に連載された作品。

怪我で舞台に立てなくなった40歳のストリッパーが、
札幌でダンス付きのバーを開店して、
若い二人の踊り子を育てる過程で自分も再生する
というお話。


題材がストリップであること以前に、
自分の年齢的に、
次の世代が幸せになることを優先する様子が、沁みた。
若い世代がうらやましくもあり、
彼らのために場所を用意できる自分が誇らしくもあり。


そもそも、ストリッパーが主人公で、ここまで内面がしっかり描かれたものって、
ほかにあるのかなあ。
ダンスですら、あまり無い気がする。

自分は習い事の範疇でしかやってないから全然わからないけど、
ダンスをする人の内面や、ダンスについてのいろいろが、
ここまで言語化されているのは、貴重なんじゃないか。
彼ら、体で語っちゃうから。


ストリップそのものについても、いい表現がたくさんあった。

「客席に散らばった羞恥心が昇華して踊り子の体に太い輪郭を与える瞬間、
舞台と客席がひとつになる。」

わかるー!


文庫本の解説や、刊行時のネットの記事によると、
清水ひとみという伝説的なストリッパーの新聞記事を読んだのが、
桜木さんがはまるきっかけで、2000年前後、
カップルはいても女性は自分ひとり、という状況だったらしい。


清水ひとみは今は行方知れずとなっているそうで、
その後は、この作品では二人のストリッパーに投影されている。

一人は、過去を捨てて、料理上手で太った専業主婦となっている。
もう一人は、温泉場の汚い小さな小屋で、老いた体で今も踊っている。
主人公は最終的には後者の道を選ぶ、ということなんだろう。


清水ひとみは1985年の風営法改正で多くの小屋がつぶれたときに、
女性でも観られるものを、という渋谷道頓堀劇場の公演で活躍した方だそうだ。
姫野カオルコの公演ルポが雑誌に載ったり、ファンがたくさんいたそうだ。
その後、劇場主にもなって、札幌道頓堀劇場の社長だったと。
(今そのネット記事が見つからん…)


あー、女性が観る歴史はそのあたりまで遡るんだ。
当時、自分は中高生だったけど、
その後、この記事で書いたアダルトビデオが人気だったり、
女性でもそういうものを観る文化がちょっとはあったような気がする。

バブルの高揚、イケイケなノリが背景にあって、
ディスコで女性が見られるために踊る、とかもその文脈だったのかもしれない。
当然、女性の社会進出とリンクしていて、
でも、今思えばそれは本当の男女平等ではなかったなあ。
性的なこともあけすけに言える女、という新しい役が広まっただけで、
その役を演じる女性が搾取されるのは変わらない。

検索したら、週刊文春1987.5.7で二人が対談してた。
読んでみたけど、男性が期待する「エロい女」という作りで、
今の目からすると、全然的外れだった。
けど、それはそれで一つの過程ではあったと。


『裸の華』で、清水ひとみをモデルとした人物について、
「ひとみさんの言葉であたしが忘れられないのは
「女が喜んで観ることができるステージを作る」だった。
あのひとはずっと信じてたんだ。
いつか女たちが堂々とストリップ劇場にやってくる日が来るって。」
というくだりがある。
これは桜木さんが清水ひとみから聞いた言葉なのだろうか。
今、けっこう、実現しつつありますよ。


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