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私がストリップを観たい理由 [考察]

11月上旬の川崎ロック座での桜庭うれあさん、また和物でした。

着物が大正ロマンみたいでかわいい!
かんざしの色合わせもセンスいい!
かなりセンスがいい方とお見受けしました。

日舞の素養があるのかどうか、たまたま続けて和物なのか、
楚々としつつも、繰り出されるうっとり顔に、釘付けです。
ピンクの光に、肌がまるで細かいラメやパールが光るように輝いています。

これよこれ、この歌い上げ系で、うっとりするのがいいのよ。


そのとき、天啓が降りてきました。

あ、私は、性的な恍惚感を味わうためにここに来てるんだ。

しかも、男性を介在させない、女性だけで得られる性的な恍惚感を。


そう、男性が介在しないことがミソ。
女性だけでうっとりしたいの。
女性が女性だけでうっとりすることを望んでいるの。

客席に男性はいるけど、彼らもただの観客。
舞台上には女性しかいない。たった一人だけ。

もちろん踊り子さんはアスリート並みのことをしているので、
うっとりしてる暇なんかなかろう。

でもそこで表現されているのは、性的な恍惚感であり、
至福の瞬間なのだ。



…宝塚にはまったのも、同じことだったのかもしれない。
男性抜き。
男役はいるけど、男性じゃない。イデアとしての男役。
はまったきっかけになったのは濃厚なラブシーンだったしなあ。
リアルな男は存在しない世界で、うっとりしたい。


これは、BLにはまる人の心理にも近いのかな。
男女の関係だと、差別とか格差とかがどうしても気になって、没入できない。
男に「選ばれる」側の女として、自分はどうせ失格だし。
そもそもそういう関係、嫌だし。
という心理でBLにはまるという研究があったはず。


でもBLじゃなくてストリップ、なのか。自分。
ストリップ、なのだ。自分。


もともとは女性の身体を消費し、搾取する場所だったであろうストリップ。
それが一周回って、全然違う見方をされている(私に)。


80年代のAV女優で、インテリで有名な人がいました。
「性の法悦」という言葉をよく使い、
ドストエフスキーに言及したりしてました。
本も書いてました。
女性にも人気だったそうです。私もけっこう好きでした。
性的な面で、女性が解放されているように見えたから。

でも彼女は、今では監督を訴えているそうです。
不当なことがたくさんあったようです。

ああ、女性が性の恍惚を味わおうとすると、
すぐに搾取に結びついてしまう。


これを私は『或る女』現象と呼んでいます。
有島武郎の小説です。
明治の終わり、好きな男ぐらい自分で選びたい、という女性が、
淫乱女扱いされるっちゅー話です(超ざっくり、私的解釈)。

性的自己決定権、なんて言葉のない時代。


いや、今だって実現してないよ、だからBLや宝塚にはまるんだよ。

自分の性を肯定すると、とたんに、男社会の「あるべき女」からはずれ、
「どうにでもしていい女」扱いされてしまう。

ふざけんなーー!



ストリップは消費や搾取を土台にしているけど、
今、私に、女性の性の自由を夢見させる。

その構造は、
性の自由を夢見る女性が、
消費や搾取の対象になり続けてきたことと、
ちょうど鏡合わせなのだろうか。


それとも、女性が消費や搾取の対象になり続けてきたことを、
一周回って、違うほうへ持っていけるだろうか?
この鏡合わせから、抜け出せるだろうか?


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