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映画「odoriko」(東京日仏学院(アンスティチュ・フランセ 東京) 1/30) [ストリップの過去や読んだもの]

ストリップの楽屋を撮ったドキュメンタリーがあるとのことで、
気になってはいたんだけど、なかなか普通の映画館で上映されず、
フランスで編集版がつくられた関係でか、
フランス関係の機関でイベント的に上映されることがあり、
なんとか、編集版ではないほう(ディレクターズカット版のほう)を見ることができました。

とにかくひたすら楽屋で撮影した、という映像です。
何の説明もなく、淡々とそれが続きます。
でもなんとなく、この人は引退するんだな、といったことはわかる。

楽屋で子育ての話をしたり、親の介護の話をしたり、
超ベテランが、中堅の踊り子さんの衣装の手伝いを舞台袖でしていたり、
一方で、入りたての踊り子さんが意気込みを語ったり、
踊り子さんの素の状態が次から次へと映し出されて、
もちろんストリップ劇場の楽屋だから、裸のままも多いし、
その膨大な「素の状態」になんか圧倒されました。

そもそも裸体でいる楽屋でよく撮影させてもらえたな、と。
トークショーでのお話によると、
監督ほか合計3人(たしか)で、すっごく狭い楽屋に入って、
とにかく、邪魔にならないように邪魔にならないようにしていた、
特に、答えを求めて質問しないようにしていた、とのこと。
ああ! 

ドキュメンタリーって、森達也がよく言うように、
そのままを撮っているようでいて、
じつは、撮る側が、自分の意図通りの文脈になるように撮ってしまうもの。
それをできるだけ排除しようとしたわけです。

トークショーには奥谷洋一郎監督のほか、
作品中にも登場した浅葱アゲハさんと、牧瀬茜さんが登場。

IMG20230130205335.jpg

フランス編集版のほうのタイトルは「NUDE AT HEART」というのですが、
それは牧瀬さんの、「自分は心から裸になれているだろうか」という自問からきているそうです。
人にどう思われるかをすごく気にしてしまっていて、
裸になってもなっても、本当の意味では裸になれていない。
自我を解放できているだろうか。
…高度なパフォーマンスである現代のストリップで、
もはや裸になる必要はないのではないかと思うぐらいのときもあるけど、
やっぱり裸が必須なのは、そこに自我の解放を見ているからなんだと思う。自分は。

客席からの質問や感想では、ストリップをそもそも見たことがない、
という人がけっこういて驚きましたが、
ドキュメンタリー映画そのもののファンっていう層があるってことですねえ。
アゲハさんのエアリエルにびっくりした、という声もあって、
ストリップファンはみんな誇らしく思ったのでは。

なお、普通の映画館で上映しないのは、裸体が多いからかと思っていましたが、
じつは、(撮影時に許可を取っているとはいえ)
普通の映画館で公開していいか、
最終的な確認が取れていない踊り子さんがいるから、だそうです。


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