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女性の身体を見上げてほしい [考察]

盆が低いと、男性に襲われたら逃げられない、という本能的恐怖を感じる、
と一つ前の記事で書きました。

それで思い出したのが、
はじめて観劇したときに一緒に行ってくれた友人がこの記事を読んで、
「女性だけでうっとりしたいと言っても、客席にいる男性は気にならないの?」
と指摘してくれたことです。

そうなんですよね…

「じゃあ、女性だけのからみ=レズは?」
いや、それは好みではないんですよー。
(木葉ちひろさんのおねえさんずラブに萌えたけど)
基本、一人だけがいいです。

結局のところ「男性に観られる女性」という固定の形から逃れられていない、
ということかなあ。
宝塚が女性だけであっても、男役、女役という固定の形を模倣しているように。
「見る/見られる」という役割を求めてしまうとか。

いや、でもさらに言うと、

私は、女性が一人でうっとりしている様子を、
男性が崇めている、
という構図が好きなのかもしれないです。

思えば子どもの頃、キューティーハニーに憧れていました。(年がバレるー)
強くて正義の味方! でありながら美人でセクシー。
すごく男性にモテるけど、まったく取り合わない。

この、モテるけど取り合わない、ってのがポイントでした。

これはつまり、男性への復讐でもあるのだろうか。

盆の位置が低いだけで、襲われたら逃げられない、という恐怖を感じるぐらい、
男性に対して不信感がある。

だからこそ、女性が高い位置にいて、
誰も手を出せないでいる状態を、見ていたい。


ポラロイド撮影も、少し高い位置に座っている踊り子さんに、
お客さんは立って、まるで成績表をもらいに行く生徒みたいに並んでる。
この上下関係による安心感。


純粋に(ってなんだ)、女性の肉体を見て、性的に興奮して、楽しんでいる、
本来のお客さんである男性からしたら、
ふざけんなって感じですよね…。


あ、でもでも、たなかときみさんの漫画『裸を見るだけで満足ですか?』に、
「エロの向こう側に女性に打ち負かされる居心地の良さがあった」とありました。

男性でもそういう感想を持つ人がいるのだな。


ふと見つけたブログのこの文章がよくわかる。

「ダンサーが服を脱ぐまで、みんな一様にニヤニヤしていても、美しい踊り子が服を脱いだ途端、全員が真剣な表情になるのがすごく良くて」
「おじさん達の方が力強い存在のように思っていたのだが、彼女たちが一糸まとわぬ姿になった瞬間に、圧倒的な力が宿って、その場を制するのが見えたのだ。一瞬だけの一体感。それが本当に気持ち良かった。」

そうそう、その力を浴びに行ってると言っても過言ではないです。
本当に素晴らしい瞬間。


でもそれは、本来的には男性が崇めることによって始まり、
今も成り立っているのかな…。

ということは、私はその上澄みを吸い取って、
復讐心を果たしつつ、勝手な幻に転化している、
非常にずるい客、というわけだな…。


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